心と体

Doubt

「辛いのは、苦しいのはあなただけじゃない。みんな多かれ少なかれそうなんだよ」

こういう言い方は確かに正しい。
人は、事の大小はあるにしても、みな何かしらの悩み事や困難を抱えて生きているのだろう。
それは理解できる。

でも私はこの言葉に素直に肯くことができない。

そういう事を言うあなたや、他の誰かが悩み苦しんでいることを知って、確かに私だけじゃない。というある種の連帯を感じることができるのなら、気休め程度の救いになることはある。
でも、誰かが同じようなことで悩んでるのを知ったところで自分の悩みが解消したり、苦しみがなくなるわけじゃない。

こういう言い方の陰には、苦しんでいるのはあんただけじゃないんだから、甘えるな。という感情がある気がする。

何を持って甘えというのか、私にはいまだによくわからない。完全に甘えの無い世界というのは、砂漠のど真ん中か、絶海の孤島か、そんなところに住んでいるとか、それとも自分以外みんな死に絶えてしまった世界ぐらいしか思い浮かばない。そこには甘える対象が無いのだから。
と、これは蛇足か。

願うのは、自分の悩みや苦しみの解消。そんな時は他に目を向ける余裕など無い。甘えなどと考える余裕も。
それこそこの苦しみから解放されるのなら、悪魔に魂を売ってでも、とさえ思えるのだから。まともな状態じゃない。

だから、正論を言われたところで、甘えるなと言われたところで、全然救われない。
私が肯けない理由はこういうことなんだと思う。

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I

彼氏だとか彼女だとか。
その他色々。

とにかく自分以外の人。
そんな人たちと関わって、自分が変わったなんて話、よくあるけれど。

理解はできる。
そういうこともあるって、知ってはいる。

でも、そんなのはごめんだ。
自分を他人に依存させてどうなるっていうんだろう。
自分を変えるのは自分だけ。

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Thinking about Death

人は二度死ぬそうです。

一度目はよく言う意味での死。
そして二度目はその人のことを誰も覚えていなくなったとき。

だから。

もし、あなたの周りで誰か亡くなったときは、ほんの少しでいいです、1年、いえほんとに何かの弾みでその人のことを思い出す程度でいいから。

覚えておいてあげてください。

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I Feel Low Down.

何かやろうと思って事を始めても自分ひとりで完結することならともかく、他人が絡むと先に進めた気がせず落ち込んでしまう。

自分がしたことに対し、相手がどうリアクションを返すかなんて予想できないから、先の予想なんてあまり意味がない。
そんな予想は他人が自分の思うとおりに動いてくれるって思うのと同義だから。

それでも何とかしたいと思うのなら、分からないなりにも動くしかないのだけれど、劇的に変わるなんてことはあまりない。結果不安が募ることになる。

でも、それでも。とは思う。
自分がしたことは水面に小さな石を投げたのと同じ。小さな石を投げた程度じゃ別に水面に大した変化があるわけじゃない。波紋が立つ程度。でもその波紋が何か変化をもたらすかもしれない。続けて石を投げ入れることによってより大きな波紋を作ることも出来るかもしれない。それはより大きな変化を生み出すものとなることもあるだろう。
勿論、その変化は望むものではないかもしれないし、希望と絶望背中合わせだけれど。

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Hyperpnea

過呼吸症候群じゃないかと思える子が身近にいます。

 

最近もそんな場面に出会ったのだけれど、そういう時どう対処してよいのかわからずただ黙ってみているだけでした。

 

調べてみたのだけれど、単なる過呼吸ではなく、過呼吸症候群と呼ばれるようなものの場合、呼吸というものが自らの意思に関係しているもので、吸う息は「受け入れる」「受け取る」という意志や積極性と関わり、吐く息は「手放す」「与える」という放棄や委ねる質とかかわるということのようです。

 

過呼吸は酸素を取り込みすぎ、二酸化炭素が減少しすぎる場合に起こるもの。先の呼吸が意味する自らの意思から考えれば、「手放しがたい」「手放すわけにはいかない」という観念が働き不安や焦燥感をうまく手放せなくなり、吐く息が止まってしまうということ。しかもその不安や焦燥感を受け入れ難いために、吸う息もまた止まってしまいます。溺れてしまった時のようにパニックに陥ってしまい、呼吸をしなければと、身体が反応する。この時吸わなければ、という思いが強くなりすぎ、結果過呼吸の状態に陥ってしまうそうです。

 

もう一つ。炭酸ガス量が多く吐き出される可能性があって、これ以上は留めてはおけない感情がある場合、呼吸のほうから先に体内に溜まってしまった炭酸ガスを手放すことで、感情とともにエネルギーを解放しようとする。たまりにたまった感情を息を吐き出すという行為に変えているということです。こういう人たちは、感情を手放すことを許していない人で、こういう人たちにとって、過呼吸は一種の開放のプロセスとも言えるのです。でも、当人にとっては本当に不安と恐れの体験なんでしょうね。

 

不安と恐れを和らげること。これが一番の対処法のようです。周りが騒ぎ立てる、何事かというような状態を作るのは以ての外。過呼吸になっている当人の不安を煽る結果となるのですから。

 

「大丈夫だから。呼吸を続けて」そんな風に言って、「息を吐く」「精神を落ち着かせる」ことを一番に考えること。ちなみによく言う袋を使う方法はあまりやらないほうがよいようです。かえって危険なことのほうが多いそうで。

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Retry

失敗して、もう一度挑戦して。

失敗して、永いこと忘れていて、或いは忘れたふりをして、でも思い出して、また始めて。

よくあることと、人の言う。

その根底に在るのは「諦めない」という心。
そして、存在意義を求める心なのかもしれない。

どんな人間であっても、この世界にとっては塵みたいなモノ。
だから、きっと。
人は、そうせずにはいられないのかもしれない。

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Think of myself

今年初の更新です。

何事か上手くいかないことがあると、ついつい他人のせいにしてしまう。そんなことってあります。
悪いのはだれだれだ。私は悪くないってのだけじゃなくて、上手くいかないことがあると周りに当り散らすとか、後全然関係ない人に責任をかぶせてしまう。たとえばこんなに上手くいかないのは、あいつと上手くいっていないせいだ。なんて。。。

上手くいかなくて人のせいにしたとしても、あまり物事は変わらないことが多いみたいです。いえ、なんていうのかそういうのって自分で自分の首筋に突きつけた刃物を自分で引いているようなものだと思うのです。身も蓋もない言い方をしてしまえば、誰も何もしてないのに自分で勝手に傷ついたり、消耗したりしているだけって言う。

上手くいかないことがあってもそれは自分の事情です。
それが解れば少なくとも自分で自分を傷つけるようなことはしないんじゃないかと思います。
それだけでも、なんていうか十分救いになることなんじゃないかと。そう思えるのです。

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Worry

何を考えているのかわからないのは不安だよね。
何も言わないから、何も解らない。

完全に無視とかなら。
それとも、あからさまな嫌悪を見せられれば、
終わらせる事もできる。

でもどうして、あなたは私の近くに来るの?
そんな微妙な距離で。

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Still Live

辛いの?

でも死ぬのは怖い?
なら、あなたはまだ生きたがってるってことよ?
本当に死を望んでる人は何も言わずに逝ってしまうから。

まだ。
あなたは。
明日を望んでいる。
それこそ蜘蛛の糸のような、か細いものだとしても。

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これは私の祈り。

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Be

ふとしたことで。
自分というものが案外他の人から気にされている存在だということに気がつく。

良いことなのか
悪いことなのかはよくわからない。

いえ、
たぶん悪いことではないとは思う
その中に悪意むき出しの者も居たにしても。

他人の中に私という存在がいないのだとしたら。。。
それは私がもう死んでいるのと同じだから。

今はそのことにささやかな感謝を。

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